2007年10月11日
楽しい芋煮会のやり方
河川敷で行なわれる芋煮会(山形風芋煮)芋煮会(いもにかい)とは、主に東北地方で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。
概要
親睦を深める行事として、家族・友人・地域・学校・職場で行うことが多く、東北の秋の風物詩となっている。大人にとっては「野外での宴会」であり、春の花見と双璧を成す。
「秋」に「野外」で「集団」で「鍋料理」を食べる風習は、青森県を除く東北地方、および新潟県に見られる。「芋煮」にあたる呼称には地域差があり、「芋煮会」という呼称は、地域差を排した総称としても使われている。
起源
江戸時代、米の不作に備えて里芋もつくられていたが、里芋の収穫時期に合わせて「芋煮会」の原型とみられることが農村部で行われていた。野外で集団で鍋料理を囲む収穫祭的な意味合いの行事であったが、村をあげてのものであったという記載はなく、少人数で行い、また、現在のように「河原」で行うとは限らなかった。 (「河原」で行われた訳としては北前船の廻船業者が京料理の芋棒(棒鱈と海老芋(里芋の一種)の煮物)を鍋風味にして川人足達に振舞ったという話がある。)
「芋煮会」の原型が行われた背景として、米が容易に保存出来たのに対し、寒冷地の東北地方では、種芋は穴を掘って地中に保存が可能だが、食用のサトイモを越冬させるには囲炉裏や屋根裏などの温度が高いところで保温が必要で、保存が難しかったため、厳冬期前に消費する意味合いもあったと考えられる。青森県に「芋煮会」がないのは、当時のサトイモの栽培限界より北にあったこと、関東地方以南で見られないのには、サトイモの保存が容易であったことなどが考えられる。
都市化
農村の収穫祭的な習俗が都市部に持ち込まれたのが、「秋」「野外」「グループで火起こしして鍋料理を作る」「宴会」をキーワードとしている現在の芋煮会である。
都市部での「芋煮会」が始まったのは、「明治時代の松方デフレ期にも農村から都市への流入が起きたため」とする説もあるが、実際には高度経済成長期、農村から都市に人口が大量流入したため、とするのが有力である。1970年初頭のニクソンショックとオイルショックを契機に東京への人口流出が激減し、代わって東北地方の都市化が急速に進んだ1970年代半ばから80年代半ば(昭和50年代)に「河原」での「芋煮会」はピークを迎えた。
都市部では農村に比べて住宅事情が良くないため、火を使っても周辺に迷惑がかからず、参加者が集まり易い都市中心部近くの「河原」で芋煮会が行われるようになった。また、学校では校庭の端の方だったり、地域では寺社の境内や公園だったりと、ある程度の人数が集まれる都市内の様々な広い場所で芋煮会は開かれた。農村部では河原に限らず、いつもの生活の場で、特段に行事との認識もなく日常性の中で行われている。一方、都市部での芋煮会は、年中行事としては日常であるが、毎日の都市生活と比べると非日常である。
東北地方の都市化が進んだ1970年代半ば辺りから、仙台市の国分町を始め、各都市に社用族や庶民向けの飲み屋街・歓楽街がつくられ、以後発展していくが、店内で火起こし出来る芋煮会対応の飲食店がつくられなかったため、芋煮会の主流は「河原」であり続けた。
しかし、無秩序にあらゆる「河原」で芋煮会が行われたため、河原の近くに住む住人に迷惑がかからないよう、各都市で火を使っていい河原の区間が定められた。また、「河原」にも収容限界があるため、混雑した都市部の河原を嫌って、他の場所で芋煮会をする傾向も始まった。
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